Blue Field

デザイナーとして働く2児の父

負け組のヒガミ

友人の知人なので僕はそんなに親しくはなかったが、それこそ『勝ち組』だと聞いていた夫婦が離婚することになった。
 
今の離婚は『金銭』や『浮気』だけではなく、単なる『性格の不一致』が原因になっていることが多いようだ。さらに、今は子どものために我慢して夫婦をやっているが、子育てを終えたら離婚するかもしれないと考える夫婦が多いと言う記事もどこかで読んだ。その兆候は離婚する何年、何十年も前から出ているらしい。

『勝ち組』と言えば『成功』とか『高収入』と言うワードが目につく。そういう意味では自分は『負け組』だが子どもには『勝ち組』になってもらいたいと思うのが親の常といえよう。親は子に高い教育を受けさ高学歴を武器に一流と言われる職業に就いて欲しいと願うものだ。でもそんな実体のないないモノで本当に人生に勝ったと言えるのだろうか?
 
僕の目に映る『勝ち組』は、たくさんの経験から本当にやりたいことを見つけて、やりたいことを学び、やりがいを感じられる仕事に就いて、そのなかで多くなくていいから親友や仲間を作り、いずれは心通わせることの出来る優しい人間と家族になり、素敵な家庭を築いてる人こそ本当の意味での『人生の勝ち組』なんだと思う。そのために必要なお金は持っていなくてはならないし、知識や技術は習得していなくてはならないのは確かだが。
 
名門大学を出た夫?元モデルの妻?お受験に合格した息子?高級外車?豪邸?『勝ち組』どころか『負け組』の香りがプンプンする。これって『負け組』のヒガミなのかな?苦笑
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はじめてのぎっくり腰

【今まで生きてきて痛っかったベスト3】

●第3位『虫歯』

年末に急に歯が痛み出し、どうにか歯科医院に連絡を入れて診てもらったときに患部にエアーを当てられたときの痛み。

●第1位『腎臓結石』

いまだに不動の1位がコレ。通勤中に歩いていたらジワジワ痛み出し最後は道路にうずくまった。弟にクルマで迎えにきてもらうも3m先に停められたクルマまでしばらく歩けなかった。

そして今回、虫歯を抑えて食い込んできたのが...

●第2位『ぎっくり腰』

先週土曜のこと。子ども部屋を掃除するため、散らかっていた漫画を拾い上げるのに若干左に重心をかけ屈んだところ、左の腰が「コリッ」と鳴った。そして次の瞬間モーレツな痛みと痺れが尻の左部分から太ももにかけて走った。「ヤバい!」と心の中で叫んでその場に倒れ込んだ。驚いた子どもたちが直ぐに妻を呼びに行ったほどだ。

妻は動けない僕の真横に布団を敷いてくれたが、そこまで移動できない。寝返りもうてない状態でしばらくそのまま冷えたフローリングに横になっていた。カラダも少し冷えてきた。少しづつ、本当に1センチぐらいづつ身体を動かし布団まで移動した。噂では聞いていたが本当に立つことはもちろん、寝ていても座っていても痛い。このまま一生車椅子の生活なんじゃないかと思うくらい身体の自由が効かなかった。最大の問題はトイレだ。幸い水分の摂取を控えていたので頻繁ではなかったが、それでもトイレまでは這って行った。家の中を這って移動したのも初めてのことだった。

結局、土曜の午前中から今朝までの3日間をほとんど横になって過ごした。こんな全く使えない週末の夫に珍しく妻は優しく、高価な腰椎ベルトを買ってきてくれたり、子どもたちとスイートポテトを焼いてくれたりした。子どもたちは、枕元のお茶が無くなると入れてきてくれたり、食事を運んでくれたり、レンタルしていたDVDを返却してきてくれたりした。トイレに動けないパパを兄弟二人で抱き上げようとしたり、引っ張ったり、支えてくれたり、とても献身的な小さな介護士だった。

また、楽しみにしていた長男のサッカーの試合をiPhoneで撮影してくれて動画サイトにあげてくれたり、漢方薬局をやっている薬剤師さんが薬を調剤してくれたり、妻のママ友たちの親切もあってどうにか今日から仕事復帰できた。でも、まだじわ~と腰のあたりは痛むし、歩くのも左足を少しかばうし、座った状態から立つと少し痛む。

認めたくはないけれど、これも筋力の衰えからくる老化現象のひとつなんだと思うと悲しくなるが、完治したらクセにならないよう少し背筋を鍛え、ストレッチも日課にしよう。あと残念だけれど来月のハーフマラソンは棄権しようと思う。

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雨好き?

昔から雨は嫌いじゃない。
 
・雨の降り始めのアスファルトのにおいも嫌いじゃない
・雨音を聞きながら家にいるのも嫌いじゃない
・雨の日にあえて傘をささないのも嫌いじゃない
・雨の日にクルマの中にいるのも嫌いじゃない
・雨の日の森林とか原っぱも嫌いじゃない
 
好きなわけじゃなくてあくまで「嫌いじゃない」という表現がしっくりくる。
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死んでもらって構わない

僕は「他人は他人」だと息子たちにも教えているように、他人のモラルやマナーに対してあまり腹が立たない性質。
 
・電車のホームで横入りされてもあまり気にならない。
・風邪を引いた子供にマスクをさせないと文句言う人もいるが僕は気にならない。
・タバコの煙が嫌なら次回から店を変えればいいし、その場を離れればいい。
・学生が電車内で弁当食べてても腹が減ってるのだろうと気にならない。
・乗車するなり一斉にスマホをイジリ出すのも好きにすればいい。
・イヤホンの音漏れも逆に恥ずかしいと思うだけで気にならない。
・横でクチャクチャ食事をするおじさんは逆に不憫でならない。
・自宅の玄関先にウンコされたがもしかしたら野良犬のマーキングかもしれない。
・自動改札機で「だから国鉄は!」とキレてるおじいちゃんにも生き辛い社会だと不憫でならない。
・ホテルの中をスリッパで歩く外国人には「教えてあげればいいのに」と思うだけ。
・デカい声で話す大陸系の人もそういう発音、発生の言語だろうと思えば済むこと。
・飛行機や新幹線でギャン泣きする子どもにおいてはこれはもう仕方ない。
 
もちろん全て我が子には躾けなければならないことだが、これだけ大勢の人間が住む東京だ。大抵のことは気にならないし許せてしまう。と言うかいちいち気にしてる時間がもったいない。
 
しかし、こんな僕にも絶対許せないことが4つほどある。
 
・どこかしこに痰や唾を吐くヤツ
・公共のトイレを綺麗に使わないヤツ
・子どもの目線にタバコ持って歩くヤツ
・たたんだ傘を腕を振りながら持ち歩くヤツ
 
これはもう信じ難い。弁解の余地なし。殺意すら覚える。っていうか所構わず痰や唾を吐く奴は自宅の部屋の中でもやるのか?もう死んでもらっても構わないから。

家訓

『子どもを怒ったまま眠りに就かせてはならない』という母方の家系で代々受け継がれてきた『家訓』があるる。母もそうやって育ってきたし、僕もそうやって育てられてきた。つまり、子どもを不安な状態のままで眠らせてはいけない。眠る直前まで怒られていても、床に就いたら「分かったね?もうするんじゃないよ。」と頭を撫でてやり安心させてあげなくてはならない。僕はこれを一度も破ってはいない。
 
家訓ではないが、やはり寝る前に僕は子どもに『お風呂に入ったら汗や汚れだけでなく、その日あった嫌なことや悲しいこともシャワーで流そう』と教えている。子どもにとっても、もちろん家族にとっても家庭は不安のない心が安らぐところでなくてはならないと考えている。
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嫌味と皮肉

まれに【嫌味皮肉ばかり言う人がいる。メンヘラなのかアスペなのか、とにかく病気じゃないかと疑ってしまう。似てるもので【いじる】と言うのがある。僕は結構この相手を【いじる】人間だったりする。イジっている本人からすれば、相手の弱点を笑いに変えて肩の力を抜いてあげるという愛情の裏返しなのだが、まれに相手を不快にさせる場合もあるので気を付けなくてはならない。
 
しかし、【嫌味皮肉】は誰もハッピーにはならない最低な行為【嫌味皮肉】を言う人の心理としては、思いやりの精神が欠落してるとしか言いようがない。それでいてどこか自分に自信が持てない人に多いと思う。だいたい会話していても全然面白くないし、建設的でハッピーな話には成りえない。
 
自分の子どもはどうなんだろう?とくに次男坊は口が悪いのだが、学校や外でも同じなのかと心配してしまう。学校の方針なので先生も本当のことを教えてくれないだろうし、通知表にも書いてくれないだろう。友達に聞いてまわるのもおかしいだろう。
 
結局は僕ら親が気を付けるしかないんだよね。小さい頃から【嫌味皮肉】ばっかり言う奴はきっと家で親の【嫌味皮肉】をたくさん聞かされているのだと思っているからね。
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禁煙

初めてタバコを吸ったのが19のとき。予備校の先輩にもらったのがきっかけ。予備校の先輩という言い方は一般的ではないかもしれないが、美大受験科では珍しくはないことだと思う。そして27のときにはじめて禁煙に成功し10年くらい全く吸わずにきた。しかし37くらいから再び吸い続けて今に至る。昔に比べれば1日2、3本で良いのでヘビースモーカーではない。子どもの前ではもちろん、部屋やクルマの中でも吸わない。

先日、長男から「俺はパパにタバコ吸って欲しくないんだよな。」と言われた。「やめて欲しい」とか「臭い」ではなく「パパには吸ってもらいたくない。」その言葉が「元気でいて欲しい。」に聞こえて、深くささった。
 
それから今週末で3週間、タバコは1本も吸っていない。
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子どもに「なんで?」と聞いてはいけない理由。

『男の子に「なんで?」と聞いてはダメらしいよ。』と母親同士で話していた。
 
そんなの当然のこと。さらに言えば「なんで?」と聞いてダメなのは男の子だけでなく世間一般の男子にも使わない方が良い。女性には、その理由など分からないだろう。
 
母親が「なんで?」と聞くのは、男子の考えや行動が理解不能なときだろう。言い方にもよるが「なんで?」とは「ちゃんと考えてる?あんたバカじゃないの?」と馬鹿にし見下した意味を含んでいる。子どもだって(もちろん我々成人男子も)何事も考えて選択し、行動しているわけだ。たとえそれが母親(女性)に理解できなくとも。にもかかわらず「なんで?」と言われ腹が立たないわけがない。
 
僕は息子たちには「どうして?」と聞くようにしている。同じだと思われるかもしれないが「なんで?」よりは随分マシ。更にその考えや行動に至った経緯を聞いてあげることが重要なのだ。もちろん部下や後輩に対しても同じ。言い方や表情で別の意味を持たせることが出来るのが言葉の魅力でもある一方、危険なものでもあるのだ。
 
あともう一つ。子どもが何か言ったことに対して「ウソ?」とは返さず「ホント?」と聞き返すことを心がけていることも付け足しておこう。特に理由はないが。
 

やってみせ​

子どもの脱いだ靴下やパジャマがそのまま部屋に放置されてたり、読んだ漫画が出しっぱなしだったりする。それを見つけると妻は子どもたちを注意して直ぐに片付けさせる。とても正しい躾(しつけ)だと思う。最も良くないのは親が黙ってそれらを片付けてしまうことだ。何故ならそれが最も早くて楽だから。
 
でも僕のやり方は妻のとも違っている。僕は、幼いうちは片付けてあげても構わないが、その様子を必ず子どもに見せることだと思う。脱いだままの靴下を「本当お前らだらしないな」と一言注意してから洗濯機に入れるようにしている。

毎週金曜日は子どもたちが学校から上履きを持ち帰る。それを洗うのが僕の習慣。きっかけは授業参観のとき見た息子の上履きが誰よりも汚れていたからだ。学校からは子どもに洗わせるようにとの指示だったようだ。妻からは子どもにやらせるよう注意されたがあえて無視してきた。なかなか落ちない頑固な汚れをブラシで洗っていると、子どもたちがお風呂に入ってくる。僕が上履きを洗っているのを見ても誰も手伝おうともしない。そんなことが4年続いた。

先日、いつものように僕が上履きを洗っていると、風呂に入ってきた長男が「パパ、俺も片方洗うよ」とブラシで上履きを洗い出したのだ。もしかすると、たまたまだったのかもしれない。でも、息子に『自主性』が小さく宿ったように思えて嬉しかった。

山本五十六(やまもといそろく)の有名な名言を思い出す。
 
【やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
 
これは子供に限らず、人に何かを教える立場の人間には手本となる言葉である。子どもは親の背中を見て育つと言うが、まさにそう。まずは自らが手本を示すべきではないだろうか?スマホを触りながら子どもの顔も見ずに怒りまくっても相手には届かない。

山本五十六は軍家に生まれたため、自らの道を選ぶことは出来なかったが、もし現代に生まれていてもきっと立派な親であり、先輩であり、上司だったろうと思う。本当にいい言葉を残してくれた。
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絵本棚の整理

あれだけ絵本が好きだった長男も少しづつだが活字本を読むようになった。子ども部屋の本棚にはすっかり出番をなくした絵本たちが埃を被っている。少し処分しようと本棚の前に腰を下ろすが結局1冊も捨てられない。中にはこのブログでも紹介した僕が子どもの頃からずっと所持してきた作品もあるが、しっくり来な買った作品もある。でも結局は何も処分できずに埃を払ってなるべく高さを揃えて元の本棚に戻すだけの作業。そんな捨てられない絵本の中で、子ども達に読み聞かせるのが好きだった絵本を見つけた。

3冊出版されてるシリーズ本だが。でも僕が好きなのは1作目の『どろぼうがっこう』
 

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 どろぼうがっこうの『くまさか』先生と生徒の掛け合いが面白い。子どもにテンポよく読むのが難しいが、上手く読めるとこちらも気分が良いのだ。そんなことを思い出しながら、また結局捨てられず本棚に戻すだけになってしまった。
 
 

 

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小学校を休ませてレジャーはあり?なし?

みたいな記事をよく目にする。正直、ちゃんと内容を読んだことはないが、僕の見解は『その家庭の自由(勝手)』で良いと思う。学校に行くことが全てじゃないとか、学校に行くより貴重な経験が出来るとか、そんな言い訳も必要ない。行きたければ行けば良いと思うし、間違ってると思えば休まなければいい。それが問題視されるのは、他の家庭からの妬みや羨みや、自分の信念を正義とした時、他を悪とみなす考えによる批判だと思っている。
 
実際に僕の親戚に学校教員がいるので聞いてみたら学校側は全く気にしていないらしい。これだけ肯定的な僕だが、我が家ではよっぽどのことがない限りレジャーのために子ども達を休ませたりはしない。それは何故か?
 
『誰かに迷惑をかけたくないから。』
 
もしかしたら我が子のせいで授業が遅れるかもしれないし、次回、先生が同じ説明を繰り返さなければならないかもしれない。催し物の練習を全員で合わせることができないかもしれない。できる限り人に迷惑をかけずに生きて行きたいわけだ。
 
夏や冬に実家に帰省するのに終業式の前日なら航空券が何万円も安くなる。問題ないと思う。休むに値する理由だと思う。滅多に休みの取れない父親がなんとか取得した休暇に家族でディズニーランドに行くのも当然問題ないと思う。むしろ行くべきだと思う。
 
僕が小学校の時に忘れられない出来事があった。そんなに仲良くなかったけど同じ学年の子が家族と海外旅行のため学校を休んだ。しかし彼は旅行先で不慮の事故に遭い下半身不随となって車椅子の生活となった。彼はスポーツマンでバスケ部のエースだった。それでも親は学校を休ませてまで海外旅行をしたことを後悔しなかったのかどうかは分からないが、とても悲しい出来事だった。

高いけど安い

あなたは『高いけど安い』という言い回しを使いますか?
 
僕はたまに自動車と食事に使う。『このクルマは高いけど安い』『ここのチャーシューメンは高いんだけど安い』つまり、この内容でこの値段だったら決して高くはないと言うニュアンス。この言葉が使える人は限られていて、ある程度その分野に詳しい人しか使わないだろう。
 
例えば、新型『Peugeot 308』この走りと質感で300万は安い(400万してもおかしくないという意味を含んでいる)しかし、クルマに全く興味のない人(例えばウチの妻)からすれば「あれが300万もするのか」と驚くのである。
 
例えば、ラーメン屋で中華そば800円はあり得ないと思いながらも注文。しかし現物を見ると麺が他の店に比べ1.5倍あり、大きく分厚い叉焼が2枚入り、さらに味玉まで付いてくる。そして何より美味しいとあれば800円どころか1,000円だって納得できる。
 
もっともタチの悪いのが『安くないのにマズい』『ちゃっちいのに高い』こういうのは消費者を馬鹿にしてるとさえ思う。
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三男坊

朝、起きていつものように居間にあるケージに目をやる。我が家の三男坊ジャンガリアンハムスターは寝坊助でなかなか自分の家から出てこない。ただ、今朝に限っては床に敷かれたマットにうつ伏せになっている。少し様子が変だ。直ぐに近づいてみると背中が動いてない、いや、わずかに動いてるようにも見えるが錯覚かもしれない。手の平に乗せようと持ち上げると身体が少し硬くなっていた。後から起きてきた子どもたちもいつもと違う雰囲気を察して僕に近寄り、手のひらに乗せた末の弟の背中や頭を撫でた。

末っ子は昨年の5月に我が家にやってきた。どうしてもハムスターが欲しい次男坊を連れてペットショップに行った。ショップのお姉さんが可愛くて、つい言われるがままあれもこれもと購入したら支払いが1万円を超えたのを妻に馬鹿にされた。そうして生まれて間もないハムスターが我が家の一員となったわけだ。

最初は珍しくて面倒を見ていた息子たちも飽きてきたようで、餌やりや掃除も結局僕の役回りとなった。それでも、たまに外に出して運動させたり、友達を呼んで触らせてあげるのは息子たちの役目だった。
 
誰も泣かなかったがなんとなく部屋の空気が重くどんよりした。生き物に全く興味のない妻の表情も沈んだ。僕はジャンガリアンの寿命は2年から長くて3年と聞いていたので少し動揺した。確かに昨夜は元気だったはず。病気?餌の与えすぎ?肥満による心不全?なんとなく自分の責任のような気がしてならなかった。
 
僕と妻は仕事で息子たちは学校があるので、とにかく粛々と準備を済ませた。そして、小さな庭のそんなに隅っこじゃないところにスコップで穴を掘って三男坊の亡骸を埋めた。今週末にはちゃんと子どもたちと墓を作ってやろうと思う。なんとなくだが、しばらくケージはこのままにしておこうと思う。最初から居ないのと、いつも居たモノが居なくなるのは全然違うということ。当たり前だけど。
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怒ると叱る

子育において『子どもは怒るのではなく叱るのが正解』みたいに言われているが、そういった言葉の意味や理屈はあまり重要ではないように思う。親も人間。感情的になってしまうこともあるだろう。でも直ぐにそれに気付き我に返らねばならない。つまり、怒るにせよ叱るにせよそれが本当に我が子を思ってのことなのかが重要だと思う。多くは大人の都合や思い通りにならないイライラや子どもの態度が気に入らないと言う理由で大声で怒鳴り、心ない言葉を浴びせ、酷いと手を挙げるわけだ。『怒られてる』と言うことはつまり『自分は愛されてる』のだと子どもに伝わらないから反抗されるのではないだろうか?
 
それに昔から『子は親の背中を見て育つ』と言われるがまさにそう。子どもは我々のことを良く見ている。ソファーに寝転がりスマホゲームをしながら「宿題しなさい」「ゲームは30分」「動画は禁止」と怒っても子どもに届くわけがない。何らかの理由で子どもが問題児である場合、その発端は意外と大人側に原因があって、実はそのしっぺ返しを受けてるだけだったりしてね。
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世代を超えた絵本たち

小学生ともなればそろそろ絵本は卒業(たまに読んでるようだけど)だろう。子どもがいると絵本を買ったりプレゼントされる機会が多く子ども用の本棚が絵本でいっぱいになってくる。その中に僕が幼少期からずっと手元に持っていた絵本が3冊ある。もちろん今でも普通に購入できるので紹介しておく。

1冊目は『ちいさいおうち』作・絵:バージニア・リー・バートン 訳:石井桃子岩波書店

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とても可愛くて美しい絵本。ストーリーも良いが登場する『おうち』の絵が好きでなんとなく手放せないで来た。最近、本屋に行ったら小さいサイズのものが再販されているのを見て懐かしく思った。息子たちにも読み聞かせたが反応はイマイチだった気がする。

2冊目は『よるのびょういん』著:谷川俊太郎 写真:長野重一福音館書店
本作は絵ではなく写真によるドラマ仕立て。モノクロ写真の救急車や病院がリアルで幼心にドキドキしたものだ。実は【谷川俊太郎】の作品だったことはすっかり忘れていたが、息子たちの反応も良かったのでこれからも手元に置いておこうと思う。

最後は『おふろやさん』絵:西村繁男福音館書店
とにかく大好きだった絵本。こちらは文章(文字)は一切ない。登場人物の表情や仕草から場面が読み取れるので、読み手がストーリーを作ったり子どもに考えさせながら読み聞かせが出来る。感情を込めるもよし、モノマネするもよし。数は減ってるとは言え古いスタイルの銭湯は今も営業しているので子どもと行ってみるもの楽しいだろう。

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あとは、小さい頃読んでいて今も鮮明に記憶している【せなけいこ】さん著書の​『ねないこだれだ』『いやだいやだ』『あーんあん』『ふうせんねこ』『きれいなはこ』は大人になってから買いなおした絵本。こちらは子どもたちへの関心も非常に強かった。

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昔から絵本作家に憧れる。こうして時代を経て読み継がれる絵本はいい。読む親に安心感を与え、読みきかる子どもの興味を引かなくてはならない。実は自分にも少しアイデアはあるもののとても描き上げる自信がない。いつか息子たちに子どもが、つまり僕に孫ができるまで大切に保管しておこうと思う。